目黒区議会 2010-11-30 平成22年第4回定例会(第4日11月30日)
中国では、明代から釣魚諸島のことは知られていたと。それで、江戸時代中期に出版された林子平の「三国通覧図説」(1785年)には、中国の地誌を取り入れた地図がつけられていたということで、この島嶼が清国の領土として桃色に刷り分けられていたということです。
中国では、明代から釣魚諸島のことは知られていたと。それで、江戸時代中期に出版された林子平の「三国通覧図説」(1785年)には、中国の地誌を取り入れた地図がつけられていたということで、この島嶼が清国の領土として桃色に刷り分けられていたということです。
琉球及び日本には、明治以前は、中国の文献から離れて独自に釣魚諸島、尖閣列島に言及した文献はありません。それを確認されているのかどうか。 五つ目に、明朝時代、清朝時代の著書には、中国と琉球の国境が赤尾嶼と久米島の間であり、釣魚諸島(ティアオユイタイ)が琉球領でないことはもとより、無主地でもなく、中国領であることを示すものがあります。